
(5歳〜14歳)
大阪市内のピアノ教室に約10年通う。ソナタの2冊目の途中までやっていたと思います。やさしい先生でしたが当時から病気がちで、代理に音大に通う娘さんから教わったりもしました。5年ほど前から久しぶりに年賀状でごあいさつさせていただいていましたが、3年前にお亡くなりになってしまいました。
小学生時代は極めて不真面目な生徒で、稽古日の土曜日、学校から帰って大慌てで練習。週たった1回の練習でレッスンに臨むという怠慢ぶりでした。それでも続けていてよかった。中学生になってピアノのを弾く楽しみがようやくわかり、多少は真面目な生徒に。
発表会では、12歳=トルコ行進曲(モーツァルト)、13歳=子犬のワルツ、14歳=軍隊ポロネーズをやりました。
しかし家庭の事情で中3の夏前に家からピアノが無くなり、もったいないことにピアノをやめてしまう。
(15歳〜18歳)
家にピアノがなく、ピアノ成長期に弾けなかったのは誠に残念。代わりに部活のラグビーや麻雀に明け暮れる日々でした。
(19歳〜23歳)
大学入学で上京し、銀座で見つけた楽器店で電子ピアノを触っていると無性に欲しくなり、金もないのに購入を決意。もちろん分割で(20回払い)。当時、電子ピアノは高く20万円以上しました。今この値段を出すとかなり良いものが買えますね。
風呂トイレなし4畳半アパートでヘッドホンを耳に、でたらめショパンを弾き散らかしました。この5年間(留年したので)で我流ながら中学時代より腕が上がったような気がします。
(24歳〜48歳)
就職したとたんピアノを全く弾かなくなりました。結婚し娘が2人でき、大学時代に買った電子ピアノを習い始めの長女が弾くようになりました。しかしこの電子ピアノも大学のときから15年以上を経てついに故障。気の毒に思った家内の母が、中古ながら白いヤマハのアップライトピアノを買ってくれました。次女もピアノを習い始め2人でまばゆい白ピアノで稽古に励んでいました。しかし2人の娘たちは高校受験を理由に稽古を中断しそのままピアノはやめてしまいました。
何年も弾かれることがないピアノを、中学まで習っていたので腕には覚えがある家内が不憫に感じ、家族のなかでただ一人ポピュラー音楽を中心に音色を奏でていました。私は40を過ぎてもピアノに関心が沸かず、せいぜいビリー・ジョエルの楽譜を手に入れて弾こうとするも、譜面が読めなくなっていたことに驚愕しました。結局1曲もまともなレパートリーを作れず鍵盤に触れない日々が続きました。
50を前にしてようやく転機が訪れました。ソチ五輪の期間中、仕事の都合で毎夜五輪をテレビを見ることになりました。そこで耳にしたのがショパンのノクターン2番、フィギュアの浅田真央の規定演技の曲でした。この曲なら今からやれば弾けるようになるかも。
重いフタを開け、久しぶりに鍵盤にじっくり触れる日々が続きました。ビリーはなかなか弾けなかったのになぜかノクターン2番はころびながらもなんとか弾けるようになりました。やがて別れのエチュード、さらに英雄ポロネーズ、舟歌と大曲に手を出すようになりました。演奏はデタラメですが。こんなに楽しかったんだ。ピアノを引く楽しさをまた思い出しました。
(48歳〜今)へ続く。
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